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会いたい

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昨夜Y子が夢に出てきてくれた。

夢の中で私たちは、天ぷら屋で食事をしていた。
お任せコースだったらしく、店主が順番に揚げたての季節の食材を置いてくれる。
私たちは次に何が出てくるかワクワクしながら、熱々の天ぷらを堪能した。
互いに相手の好き嫌いは知り尽くしているので、ふたり共通の好物が出てきた時は同時に歓声をあげ、
相手の大好物が出てきた時は「いいよ、あなた食べなさいよ。大好きでしょ?」と譲り合い、
相手の苦手な物が出てきた時は迷わず「はいはい私が頂きますよ」と引き受け…
心からリラックスして美味しく楽しいひとときを過ごした。
とてもリアルな夢で、カリッとした薄衣に包まれた春のアスパラガスの穂先の映像と、
それが本当に穂の先端だけだったもので「首から下の茎はどうするんだろうね」とヒソヒソ話したことなど
現実だったかのように鮮明に覚えている。



時々こんな風に楽しい夢を見る。
夢の中の私は、Y子が戻ってきてくれたことに心の底から安堵し、Y子の存在に感謝する。
たまりにたまったY子でなければ通じない話をして、いつも通りのやりとりができることを心から嬉しく思い
「あゝ良かった…。Y子がいない間どれだけ辛かったか。やっと戻ってきてくれたんだ、これでもう大丈夫だ。」と心の底から思う。
そして朝がきて絶望を味わいなおす…。
この2年間、そんな日々を過ごしている。


私たちは、お互いだけにしか通じない感覚がとても多くあった。
どういうわけか幼い頃からマイノリティで、言いたいことや感じたことの真意が伝わる相手がほとんどいなかった私たちにとって、説明をしなくても言いたいことを的確に言い当て合える存在は、紛れもなく唯一無二だった。



物事に対する感想や反応が打ち合わせしたかのようにシンクロしたことも数え切れない。
それが多数派の反応なら驚きもしないが、こんな反応をする人はまずいないだろうと思うような
狭くて偏りのある感覚がことごとく一致した。
いつも一緒にいるから思考が似てしまうのではなく「こんなに性格が違うのになぜ一致するんだろう?」ということばかりだったので余計に奇跡のように感じて、そのたびに「アンタが死んだら困るわ~~!」と言って笑い合った。
喧嘩もしたが、あの不思議な「通じている感覚」は、Y子以外の人に感じたことはない。

 
私たちは若い時から本当に本当によく喋った。
体験したことや感じたことを伝え合わずにいられなかった。


スマホなどなかった学生時代には大量の手紙のやり取りをし、
大人になってからは、昼間から会っていても喋り足りず、夜は必ずどちらかの家で朝まで喋り通すのが習慣だった。
結婚前は、Y子が遊びに来ると深夜まで私の部屋から話し声が聞こえることに閉口した父が
離れた部屋まで自分の布団をズルズルと引きずって避難したり
Y子の家で深夜にお母様の眠りの邪魔をして叱られたり、
私が結婚したばかりの頃は、新居に遊びにきたY子が一向に帰ろうとしない事に腹を立てた夫が怒り出したこともあった。


学生でもあるまいし、夜更けまで喋り続けることが常識的ではないのはわかっていたが
どうしてもこの習慣だけは変える事ができなかった。
互いに遊び友達は何人もいて、その友人たちとはどこかで待ち合わせて買い物なりランチなりを楽しんで
ひとしきりお喋りをして解散する…いわゆる〝普通〟の付き合いをしていた。
でもY子と会って深夜のお喋り抜きで解散したことは、40年以上のつきあいの中で数えるほどしかない。
 

くだらない事から深刻な事まであらゆることを話し、互いの生活を逐一伝え合っているうちに
会ったこともない相手の親戚や職場の相関図まで頭に入ってしまい、
まるで共通体験だったかのように「ホラ、あの時こうだったじゃない」と言ったり
当人も忘れてしまった過去の同僚の名前を相手が覚えている…なんていうこともよくあった。


「なかったことにしたい過去の失敗」も当然たくさんあり、
そのことに後からエピソードを付け足して塗り替えようとしても、互いにその「改ざん」を見逃さず
「いいや!あの時相手にあんな事を言ったあなたにも落ち度があったはず。事実を書き換えるのはやめなさいよ。」と指摘したりされたりすることもあり、その度に「人の事なのによく覚えてるわねぇ!」と相手の記憶力に呆れながらも感心したものだった。
 
批判し合うこともあったが、互いに「仲良くするために意見を合わせる」ことを好まず
「同意は得られなくても本音を言える事」が大切と考えていたので、批判されたから腹が立つという事はあまりなかった。

そんな風に私たちは、40年以上喋り続けた。
そんなにも喋り続けているというのに話題が尽きることがなく
50代後半になっても、会えばやはり夜中まで語り合った。
 

15才で出会い、そうやって人生のほとんどのことを共有しながら一緒に大人になった私たちは、姉妹のような夫婦のような感覚があった。
Y子は昔、ふたりについて占ってもらい「前世では夫婦か恋人だったらしい」と言われ納得していた。
それくらい特別な縁を感じる存在だった。
 

でも私たちも年齢を重ね、いつかどちらかが相手の葬儀に参列しなくてはならない日がくるということを想像するようになった。
遺された方はどうやって生きればいいか?についてマジメに話すこともあった。
だけどそれはまだまだ先のこと。互いに親を見送らねばならないし
いずれ病気もするだろうし体も自由がきかなくなっていくだろうけれど
お互い「おひとり様」同士、そういう「老い」を支え合おう。ゆくゆくはもう少し近くに住もうかなどと話し
あと20年くらいは一緒にいられるものと疑っていなかった。


こんなに早く、こんなに突然、永遠の別れがくるなんて想像もしなかった。


私は、友達のひとりを失ったと言うより、自分自身の機能の一部を失った。
誰にも会わずどこにも行かなくなった。
永久に心から笑うことはないだろう。


鬱々と過ごす母親など息子にとっては負担以外のなにものでもない。
このままでは良くないと思って気晴らしに出かけてみても、どこもかしこもY子と行くのが当たり前だったので
いるはずのないY子を探してしまう。
そして出かけると相手へのお土産を買うのが習慣だったので、もう渡す相手がいないことを思い知る。
なのにY子の好きなものばかりが目に入ってくる。
そして泣きながら帰途につく。


ふたりには、恒例や定番にしていたことがたくさんあった。
季節が過ぎるたび、ふたりの恒例にしていた事の多さを思い知る。
もう二度と「今年もそろそろこの季節だね」と出かけることはないだけでなく
「去年はこうだったよね」「〇〇だったのは何年前の時?」と思い出話をすることもかなわない。
これから先はたったひとりなのだ。
 

もし立場が逆だったら…Y子はこんなにボロボロにはならなかったと思う。
Y子は若い時から「自分にとって本当に納得できる教え」を探していた。
様々な本を読んだり催しに参加したり、インドや北欧などに長期滞在したりもしていた。
スピリチュアルや占いの類に一切興味がなく、いちいち感傷的になる私との決定的な違いだった。
そういう価値観の中でY子は死を悲劇的なものとは捉えていなかったし、感傷的なことは好きではなかった。
私が先に逝っていたらきっと、寂しさは感じつつも一種の祝福というか…俗世の煩わしさから解放されたことを喜んでくれたかもしれない。
「来世でまた会おう」と穏やかに見送ってくれた気がする。


私は未だにY子の死を受け入れられずにいる。
「Y子の分まで生きる」という感覚にもなれそうもない。
休みの日は、一日中ぼんやりして気づくと夕方になっている事も多く
正気と異常の境目にいるような気がすることがある。

前を向かなくては…と思っても、私の「前」には何もなく
一日一日自分の気持ちをごまかしながらやり過ごしている。
 

未だに私はY子の墓前に立つことができない。
墓前はおろかY子の家の地名を目にするだけで息苦しくなる。


弱く情けない友を許してほしい。