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桜の中で

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みなさま、お久しぶりです。

お久しぶりどころではないですね
1年近く更新がストップしてしまいました。
こんなに放置してしまったのは、2006年のブログ開始以来初めてです。

時間はたっぷりあったはずなのに更新できなかった理由は色々ありまして…
その理由たちの、どれから書いていこうか迷うところですが
とりあえず今日は、私の友人Y子について綴ろうと思います。

このページを見てくださる方がまだいらっしゃるかどうかわかりませんが
自分の人生を書き留める場所でもあるので、書かせてください。


・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


Y子との出会いは40年以上も昔。
高校入学時に出席番号で前後に並んだ時から付き合いが始まった。
性格は違うのになぜか波長が合い急速に親しくなった私たちは、
今で言うヤンチャな事やくだらない事ばかりして高校時代を過ごした。


大人になってからはますます距離が縮まり、付き合いが途切れることなく
互いの愛だの恋だの結婚だの離婚だの仕事だの病気だの…チャラチャラしたこともシリアスなことも全て共有してきた。

私たちは、幼い時の経験や思い出にも驚くほど共通点が多く、
まるで幼少期からの友達だったような錯覚を起こすほどで、なぜか互いの心の中がよくわかった。
必ずしも同意見になるわけではないけれど、「相手がどう思っているか」はわかるのだ。

そして怖いほどに色々な事がシンクロした。
Y子は、ふたりがあまりにもシンクロすることが多いので、前世鑑定(笑)までしてもらったほど。
とにかく、互いの癖も好みも弱点も欠点も細かい所まで知り尽くしていた。
どんな時でも味方になれるし、なってくれると信じることができた。
例えそれが一般常識とは違っていたとしても。


私もY子も少々常識はずれなところがあり、大多数がヨシとする意見に疑問を持つことが多かった。
黙っていればいいものをそれをすぐ口に出してしまうので、周囲から誤解されることが多く
摩擦の多い生き方しかできなかったが、そんな面も共通していた。
親には話せないような事も、世間的にNGな内容も
互いになら全て本音で話せて、相手が言いたい事の真意を理解し合える唯一の存在だった。
だからと言って何でも同意し合うというわけではなく、互いのダメ出しや批判をすることもあったが、
それでも関係がこじれない唯一の存在でもあった。

Y子のために菓子を焼いても、美味しいと思わなければお世辞も遠慮もなく「ゴメン、無理」と残されてしまうことなど常。
どちらかが愚痴をこぼしても無条件で擁護するわけではなく「それはあなたに問題があるんじゃないの?」と指摘したし、されもした。
「馬鹿じゃないの!?散々おんなじ失敗してること忘れたの?ホラ、あの時だって…」
「これ、本気で気に入って買ったの?すごいセンスだね。」
「アンタって昔っからそうだよね、いい加減学べば?」
「アナタこういうの好きよねぇ~、あたしは嫌いだけど。」
そんな風にズケズケと本音が言い合えるのも、Y子しかいなかった。


高校1年から今日まで実に43年間、本当に何をするにもどんな時も一緒だったから
ほとんどの思い出を共有していて、互いでないと通じない話ばかり。
しょっちゅう会っているというのになぜか話が尽きることがなく、いつも朝まで語り合った。
Y子と私の家はそれぞれ海沿いの街にあり、Y子の部屋で一晩中喋ったあと
朝焼けの海岸線を車を走らせて家路についたことは数えきれない。
どんな時も支え合ってきた、まさに “もう1人の自分”という存在だった。


そんな私たちもいつのまにか年を取り、なんとあと2年で還暦!
2人で赤いパーカーか何かを着て盛大にお祝いしよう。
そしてお互いおひとり様同士、老後は支え合って暮らそうか。
本心がわかり過ぎてケンカになる事もあるので、一緒には住まずにご近所くらいがちょうどいいね。
だんだん老いていって、互いのポンコツ具合を嘆きながらも最後まで悪ふざけを言い合って
共に弱って、そしていつかどちらかが「お先に」と手を振って、
残った方も「後からすぐ行くよ」と見送るのだね…などと最近はよく話していた。



そんな彼女が昨年夏、突然余命宣告をされた。
医師から、手術をすることもできない状態で、お正月は迎えられないと言われたのである。

あまりにも突然のあまりにも信じがたい内容に私は混乱し、毎日泣いた。
メソメソしている場合ではない。少しでもY子の役に立ちたいと思うのに
自分にできることの少なさに愕然とした。そしてまた涙が出た。
分身のような存在を失う恐怖に打ちのめされ、頭がおかしくなりそうだった。
身勝手を承知で言えば、少しでも可能性があることは全て試してほしい。諦めてしまわないでほしい。
「治療はしないことにした」と聞かされるのが怖くてたまらなかった。

でも「立ち向かえ」と言うことがどれほど無責任で残酷なことか、理解していた。
だから、Y子がどういう道を選んだとしても、その選択を尊重しよう。
そして全力でその選択の一助となれるよう努力しようと決めた。

Y子は、一切の治療をしない事にしたと言った。
「余命宣告はショックだけど“あなたは永遠に死ねません”と言われるよりよっぽどマシだ」と…。
そして「それより、残るアンタの事が心配だよ」と…。

その直後、Y子は私の息子たちに封筒を渡した。
お金と「これでお母さんを食事にでも連れていってあげて」と書かれた手紙が入っていたと、後で聞いた。



それからのY子は、いつも通り楽しい事や好きな事をする毎日を望んだ。
今まで以上に私と一緒に過ごすことを望んだ。

私はY子が望むままに会いたい時に会い、行きたいところに連れて行った。
旅行に2回行き、果物狩りや話題のスイーツ店や買い物や…。
会わない日は必ず電話で話をした。
日に何度もLINEのやりとりをした。
私が失業し十数年ぶりに時間を自由に使えたのは、このためだったのかもしれないと思った。



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Y子は取り乱すことも悲嘆にくれることもなく、どこに行っても「来年もまたここに来よう」「これは今度の夏に着よう」と、
未来があると信じているふりをして楽し気にしていた。
私はその一方で、医大教授の友人に相談したりネットで情報をあさったり…一縷の望みをかけてY子の命を繋ぐ術を探した。



去年のクリスマスイブ、Y子の好きなものをたくさん並べて2人でクリスマスディナーをした。
味にうるさいY子と共に、何日も前から「苺は〇〇農園の」「ピザにのせるのは〇〇チーズ専門店の自家製モッツァレラ」
「パテは〇〇精肉で」「ケーキは絶対〇〇のモンブラン」とアレコレ決めて準備した。


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Y子はこの頃体調も良く「美味しい美味しい」とほとんどの皿を平らげて、来年もまた必ずやろうと言った。
来年のクリスマスは、私ひとりで過ごさなくてはならないと分かっていたけれど
2人で来年のメニュー決めをして笑った。


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その時、Y子が「そういえばアツはもうすぐ試験受けるんでしょ?」と聞いてきた。
私は昨年春、社会福祉士資格取得の養成講座に申し込んでいたのだが、
全ての時間をY子のために使うと決めて受験はしないことにしていた。
だから「今回は受験しないことにしたよ」と答えると
「もったいない!受けるだけ受けてみなさいよ」とY子。

この時の私には厄介な問題が複数ふりかかっていた。
息子1が急病で手術を控え、息子2がクリスマス直前に交通事故を起こし、
その相手が主張してきた真っ赤なウソを覆すための証拠集めや抗議、
書類選考を通った求人の面接、契約通りの工事をしない修繕業者との連日の交渉、
かねてから揉めていた相続問題も急展開して山場を迎え、施設にいる母のことでもひと騒動あり…
ここに受験まで組み込んだら、Y子との時間が削られてしまう。

しかしY子は「アツはアツの道を頑張らなきゃいけないんだよ」と言った。

私は泣きそうになりながら「わかった。じゃあ1ヶ月だけ待ってて。」と答えた。


そして2022年の年が明けてから2回会って食事やドライブをし、
そこから私は30日間のダメ元受験勉強を開始した。


試験日は2月6日。
終わったらすぐに打ち上げをして、Y子が行きたがっている温泉にもまた行こうと約束した。
ただでさえ脳の機能が著しく低下しているシニアが、普通なら今までの総仕上げをする時期に
勉強スタートするという無謀すぎる挑戦。
何度も「やっぱり到底無理だ!」と放り出しそうになった。
ほぼ理解できたと思った単元なのに、1週間後には全て忘れているどころか
その単元を勉強したこと自体忘却していて、半泣きになりながら再度ページを繰ったことも…。
その合間に諸々の面倒事を詰め込んで、まさに髪を振り乱した30日間だった。


その間、Y子とは会わずLINEメインで繋がっていた。
私からは
「体調、変わりない?」
「食べられてる?ほしいものない?」
「次の診察はいつ?」
「ちゃんとドクターに今の状態説明するんだよ」
「(試験が終わるまで)もう少しだから待っててね」

Y子からは
「こっちは気にしなくていいから勉強集中しなさい」
「試験終わったら私がアツに美味しいモノ食べさせるよ」
「試験前にコロナにかかったりしないように!」


そんなやりとりを続けていたが、1月の末頃から少しずつY子の文章から元気が失われていった。
文字数が減り、誤入力が増えた。
そしてある日「今はちょっと外には出かけられないかもなぁ」と書かれていて
私はY子が衰弱していっているのを確信した、


そして2月6日、私は試験を終えた。
他の様々な厄介事も順番に片付いてゆき、やっと再びY子と過ごす時間が戻ってきた。
しかしその時、彼女の体調はかなり悪くなってしまっていた。
ほとんど文字が打てなくなり、昼間もウトウトしている事が多くなり、打ち上げも温泉も行けなくなっていた。


完全に文字が打てなくなったのは試験5日後…
それからは電話でやりとりをした。
時間の感覚も狂ってしまい朝か夜かがわからないことも増えてきたので
一日中、Y子が話したいと思った時にはいつでも電話を受けられるようにしていた。
今までのような雑談やバカ話はもうできず、呼吸も苦しそうだったけれど
電話が繋がっている間だけは気分が紛れる様子だった。
Y子は電話を切る時には必ず「ありがとう、たすかったよ」と言っていた。


それからY子は週ごとに弱っていった。
Y子のお母様は気丈にも「自宅で看取る」とおっしゃり
訪問看護や往診等のサポートを受けながら自宅で看護をなさっていたので
私はお母様のサポートにまわった。
毎日電話で話す相手がY子からお母様に替わり、お母様の不安や悲しみを受け止め、
福祉サービスの助言や買い物など引き受けた。

定期診察に付き添った時は、Y子は私以外の人には体を預けず、貴重品も私にしか触らせず、
お母様が「アツちゃんの言う事しかきかないわね」と苦笑していた。


Y子はいつも私を待っていて、私は数日おきに見舞いに行った。
他の友人が見舞いに行くと「アツは?」と何度も訊いていたとお母様から聞かされた。
ほとんど食事ができなくなっても、私が持って行ったものは大喜びで食べてくれた。
元々、食材や味付けに対するこだわりがとても強く、世間では美味しいとされている物でも
全く受け付けないものがたくさんあるY子だったが、
「アツは絶対に私が好きな物を持って来てくれる」と言っていたと聞いた。


そして3月半ば、国家試験の合格発表があった。
奇跡的に合格していたが、Y子はもうほとんど起き上がれなくなっていて、私が試験を受けたこともわからなくなっていた。
それでもお母様がベッドのY子に「アツちゃん、試験合格したんですって!」と伝えると
弱々しい声で「そうか~よかった~」と言ったと聞いた。

Y子は「合格したら、アツの大好物のナポレオン・パイを一緒に食べよう」と言っていたがそれは叶わず
私はひとりパイを作ってひとりで食べた。


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その翌週、いつものようにY子の好物を持って見舞いに行き、
何度も「Y子、アツだよ。今日も来たよ~」と話しかけ、Y子の手を握ってしばらく過ごし、
「また来るからね!」と挨拶をした日の夜、Y子は旅立ってしまった。


眠るような旅立ちだった。
そして3月の終わり、満開の桜の中でY子は荼毘にふされた。



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Y子の旅立ちは、必ずしも悲劇ではないかもしれないと思っている。
若い時から彼女の死生観は一貫して「長生きはしたくない」というものだった。
独特の人生哲学を持っていて、現世への未練のようなものは人より少なかったと思う。

私と同じ徹底した医者嫌いで、病気が見つかった時「手術できる状態ではない」と言われて
「手術しなくて済んでホッとした」と本気で言っていた。
苦痛を伴うことが多い病にも関わらず、最後まで痛みを訴えることがなかった。
それはもちろん強い薬で痛みをコントロールしていたからだが、それが彼女にはとてもよく効いたのだ。
激しい発作や痛い処置や苦しい治療など、ほとんど経験せずに済んだ。

60才近いというのにお母様に甘えたところがあり、
病気になってからは、夜中に不安になるとお母様のベッドにもぐり抱いてもらっていたと言っていた。
お母様は80代半ば。普通ならY子が介護する側だろう。
でもY子のお母様はホスピタリティに溢れ、またその能力と知恵のある方で、きめ細かくY子をケアし続けた。
そんな風に最後まで信頼する人に甘えることができ、24時間見守られ、
大好きな自分の部屋で苦しむことなく逝けたというのは幸せなことだったのかもしれないと、少し思う。



だから、私が今抱えている悲しみは「私の問題」である。
自分が淋しいから、自分が悲しいからオイオイと泣いている。
Y子の立場になって考えたら、もっと穏やかに「解放」を共感すべきなのかもしれない。


でも


でも


「あんた」と呼び合える相手なんてひとりしかいない。
くだらない事でお腹抱えて馬鹿笑いができる相手なんてひとりしかいない。
人様には「非常識」と思われることを率直に口にできる相手なんてひとりしかいない。
何かを食べて「あ、これアツの嫌いな味だ」とわかってくれる人なんてひとりしかいない。
Y子でなければ通じない話が多すぎて、私にはもうこの世界に話し相手がいなくなってしまった。


これから支え合おうとした“老いの入口”で、ひとりぼっちになってしまった。
一体これからどうしたらいいのだろう。


桜が舞い散る美しい光景の中で、私は自分の半分を失ったような手に負えない喪失感の中にいる。





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