工房作りへの道⑤まさかの続編

ご無沙汰し過ぎております

時間がたっぷりあるのだから、せっせと更新しようと張り切っていたのに
何と言うことでしょう。気づけば前回の投稿から3ヶ月も経ってしまいました…。
自分で自分が嫌になります。
え~と…書きたいことは山ほどあるのです。
お目汚しは承知していますが、私は書くことで発散できるタイプなので
時系列がおかしくなろうが何だろうが、どんどん書き散らしていけばいいのだろうと思いつつ…
何だかもう、、、本当に嫌になってしまうほど“トホホな出来事”が続いていて
気持ちを建て直して文字にすることに時間がかかっております。
母のこと、仕事のこと、そして聞くもおぞましい親族トラブルのこと、
三文ドラマ的なネタには困らない状態ですが、今日はとりあえず工房のその後について書こうと思います。
★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★
前回の投稿で書いたように、今年の年明け早々、予想もしていなかった「失業」という現実が降ってきました。
晴天の霹靂でした。
失業することが判明してすぐに就活を開始しましたが、見事全滅でした。
今、コロナの影響で社会が不安定となり、ただでさえ仕事を探すのが大変厳しい状況。
しかも来月には58才

全滅は予想通りです。
前回も書きましたが、この記事で散々迷って、せっかく採用してくれたところを辞退したことが
返す返す悔やまれてなりません。言っても仕方ないことだと百も承知なんですけれど…。
本当に本当に本当に…あの時転職していれば良かった…

言っても仕方ないついでに吐き出すと…
実際に不採用の連絡が続くと、当然気持ちが落ちていき、吹っ切ったはずの元職場への感情が顔を覗かせます。
自分が働かなければ生きていけない私の事情をよくよく知った上で
このコロナ渦にこの年齢の職員を切るとは、なんて残酷なんだろう。
いえ、それが残念ながら社会ではあり得ることなのは理解しています。
ただ、雇い止めは仕方なかったとしても、上司の冷酷無礼な態度に、今も心がズキンとするのです。
私の退職が決まった後の上司の態度は、あまりに冷酷でした。
決して容易ではない深刻な業務に、チームで取り組んできた仲間だったはず。
3年間の間には、かなり個人的な話もした。
その仲間が、仕事に就けず路頭に迷うであろうことは容易に予想ができるのに、
相談に乗ろうとするでもなく、最後まで完全に無関心を貫いていました。
自分たちは親方日の丸で、コロナの影響と言ったら業務が忙しくなることくらい。
経営がひっ迫するわけでもなく給与は安定している。
辞める人の今後のことなど、知ったこっちゃない。ってとこでしょうか。
「所詮、駒」という現実をイヤと言うほど味わった最後でした。
今も時々、苦いものがこみ上げてしまいます。
吐き出しが長くなってスミマセン(^^;)
つまり、見事に路頭に迷っているわけで、ついつい恨めしい気持ちの燃えカスが
プスプスと煙ってしまうんですね。
仕事の内容にやり甲斐を感じたことも、燃えカスが煙る理由のひとつだと思います。
私が福祉の世界に足を踏み入れたのはちょうど10年前。
最初の勤務先では、単純作業だけしていました。
次の勤務先で約6年間地域福祉に携わり、そこで資格を取ってケースワーカー職に転職しました。
この転職は、収入を増やさなければ!…というのが一番の理由でしたが
福祉仕事に若干の適性を自覚したということも理由のひとつでした。
私は児童福祉分野のワーカーでしたが、私にとっては大変ハードな業務で
何度も「もうダメ。もうムリ」と思いました。
それが3年目を超えた頃から、本当に少しずつですが手応えのような感覚を覚えるようになり
ようやく自分で考えた支援ができるようになったと感じていた矢先の…雇い止めだったのです。
この先、この絶望的状況&条件の中で納得できる仕事に就ける可能性は
限りなくゼロに近いと思っています。
職種にも給与にも一切希望を言わなければ、何かしらの仕事は頂けるかもしれないけれど
もし、私が次にどこかで働くとしたら、それは恐らく人生最後の雇用先になるのではないかと思うので
ある程度納得できる所で長く働きたいと望むのです。
さて。
この状況を お菓子1本で身を立てていくための、神からのお告げね


完成した工房で、自営に本腰を入れればいいじゃない!という意見もあると思います。
私が工房を作ったことを知っている友人知人は、この後に及んで職探しをする私に
「個人事業主としてやっていく覚悟がなさすぎる」
「そんな、どっちつかずだからうまくいかない」
「何のために工房を造ったの?」
「工房費用のムダじゃない」
等々、当然の感想をぶつけてきます。
しかし、呆れられるのを覚悟で言うと、私はお菓子しごとを「副業」として考えていました。
私の作るものを気に入って下さり、時々声をかけて下さる方たちに
営業許可を取った工房で作ったものを堂々とお届けしたい…というのが工房作りの出発点でもあり、
定年退職後は、元気ならそこで自分の体力で作れる分だけお菓子を焼いて販売できたら…
と、考えていました。
根性がない考えなのかもしれません。
「その程度の覚悟だったのね」と言われても仕方ないです。
でも
私は50代半ばにして自分で生計を立てていかなくてはならなくなった身。
それも非正規雇用。
93才の母、大学生の息子もいる。
利益が100円200円の焼き菓子を買っていただいて、果たして生きていけるのか?という不安もさることながら
一番怖かったのは、当然ですが「コンスタントに売れる保証などどこにもない」ということでした。
営業能力皆無でコミュ障の私は、自ら売り込んだりイベントに参加したりするのは苦痛中の苦痛。
(福祉仕事の時はかなりのコミュ力を発揮できるのですが、これはペルソナだと自覚しています。)
そんな人間ですから、開店休業状態になっても不思議ではない。
そのような不安を口にする私に知人たちは
やらないからできないの!
できない人は挑戦していないだけ!
成功する人はとにかく始めてしまう人!
と言ってくれ、それは本当にその通りだと思うものの、今もまだ覚悟ができないままです。
営業者を変更までして職場と何度も交渉して、やっと「兼業のスタートライン」に立ったつもりだったけど
まさか失業するとは思っていなかったから、今は仕方ないと言い聞かせるしかできません。
またプランの練り直しです。
私だって、昨年末のたった2回の販売のためだけに工房を造ったなんて、マヌケすぎる結末を
受け入れる気はありません。
福祉の仕事も、お菓子の仕事も、どちらも大切なのです。
定収入もライフワークも、どちらも大切なのです。
それを「どっちつかず」と言われたらそれまでだけど
いずれ家族構成や生活スタイル、自分の体調などが変化していけば
自ずと次に進む道に迷うこともなくなるでしょう。
ただ、もうしばらくはこんなどっちつかずの生き方しかできない気がします。
仕事を探し、その合間に余裕があればお菓子も作り…。
こんな、優柔不断が服を着て歩いているような私ですが、
もがくアラ還の一例として、面白がって見物して頂ければありがたいです。
今回も長々と失礼いたしました(^^;)
いつも本当にありがとうございます。感謝しかありません。

人気ブログランキング

★インスタ★