地震の夜

その時間、私は仕事場にいた。
突然店内の明かりが消え真っ暗になり、すぐに非常灯が点いた。
『??』 と思った瞬間、まるで船に乗っているような大きな横揺れを感じた。
地震だ!!!
地震に慣れている国民の癖か、つい一瞬様子を見ようとしてしまったが、
その揺れ方が明らかにただ事ではないと感じた。
店内のお客様にむかって
『皆さーーん!急いで出口に行ってくださーーーい!!』と叫んだ。
私の職場は割れ物やガラス棚などが沢山あるので、とにかくそれらから離れなくては!と思った。
外に出てみると…
電柱や街頭の柱がしなって揺れている!
足元はグラグラユラユラしていて、一向に収まらない!
たった3分程度がとても長く感じた。
見ると信号機も消えている。市内全域が停電しているようだ。
家に戻り、母のラジオで停電が県内の広範囲に及んでいると知る。
そして、東北の被害の大きさがジワジワと伝わってきた。
その間にも、何度も何度も余震が来る。
とりあえずやるべき事を考える。
もうすぐ夜になり真っ暗になる。
我が家には、電気を使用しない暖房器具はない。
子供たちと高齢の母に、とにかく温かい格好をするように言う。
それから、靴とヘルメットをそばに。
その次に夕食用のインスタント食品や、懐中電灯、ロウソク、カイロ、電池などを準備。
そして、室内の避難経路を確保し、散らかっているものや危ないものを片付けた。
そして長い夜が始まった。
電話やメールはほとんど不通。
情報は息子のワンセグのみ。(私の機種は受信しない!!)
しかしどんどんバッテリーがなくなる。乾電池が使える外付けバッテリーが役立ったが
肝心の乾電池も残り僅か…
小さな画面を必死で見つめると、宮城、福島の津波の惨状が映る。
何ということだろう!!
我が家も海沿いの町にある。とても人ごとではいられなかった。
そのうち私は、寒くて寒くてたまらなくなり、
次男に、背中中にカイロを貼ってもらった。情けない…
電気がないと、こんなにも何もできない事を思い知った。
ガスストーブも石油ストーブもあると言うのに点火できない。
眠るのが怖かった。
次に何が起こるのか分からない恐怖、そして暗闇、そして寒さ……
長男は『1人災害対策本部をやるから寝ない』と言い、いざという時に必要な工具などを用意し、
すぐに逃げられるようにと家族の靴をリビングの隅に並べ
バッテリー残量と睨めっこしながら情報を確認している。
午前1時過ぎ、幸いな事にやっと電気が通った!!!
明るいって、何て安心するんだろう!!
私はすぐにストーブを点け暖まろうとしたが、芯まで冷えていると中々温かくならない。
40分近くあたっていて、ようやく寒さが和らいできた。
そうしたら急に疲れが出てきて、午前2時過ぎ、リュックとヘルメットを脇において眠ったのだが…
午前5時半頃、息子に起こされる。
何でも、宮城の地震とは別の震源の大きな地震が、夜半過ぎに新たに2ヶ所でおきたと言う。
位置がどんどん関東に近づいているので、起きていた方が良いと言うのだ。
慌てて上着を着て、次男を起こす。
テレビを見ると、頻繁に「緊急地震速報」が出ている。
あれはつまり、数秒後に大地震が来る可能性の予告なので、非常に怖いし慌ててしまう。
『神奈川に震度6クラスの地震の可能性』と出た時は本当に怖かった。
結局それは、震度2位の地震だったため大事には至らなかった。
今現在も、東北では大きな余震が続いているし
あの津波の傷跡の残酷さが映ると、涙が出てくる。
私は、たった数時間の暗闇と寒さだけであんなにも凹んだが
昨日からずっと、そしてこれから当分の間不自由な避難所生活を耐えなくてはならない方たちが大勢いる。
お年寄りや子供もたくさんいる。
当たり前に思っている日常が、快適が、幸せが、人生が、一瞬にして消え去ってしまった人たちが大勢いる。
阪神淡路大地震の時もそうだったが、
こういう経験をすると、しばらくは暮らしの危機管理に関心が向く。
でも、つい、時間と共に意識が薄れてしまう。
この平穏が当たり前で、永遠に続くかもと錯覚してしまう。
そしてまた、思い知らされることになる。
反省と自戒と、自分に何ができるかを考えたい。