楽しい思い出
お会いしたことがない方たちにこんなに悼んで頂けて、あの子は幸せ者だなぁと思います。
私は、元気にしております。
でも今はまだ、シオンが最期に寝ていた場所を見る事ができません。
「シオンがいない事」を、まだ完全に受け止められないのかもしれません。
そして、今はまだ苦しんでいたシオンばかりを思い出してしまいます。
病気が進んだ時、シオンの右肩から喉のあたりは赤ちゃんの頭ほどに腫れあがってしまいました。
我が家の猫トイレは、ハビがいたずらしないよう、私の手作りの木箱の中に入れてあるのですが、
その木箱の細い入口に、腫れた肩がつかえるようになってしまいました。
何度も入ろうとして、でもどうしてもつっかえる。
おかしいな、昨日まで入れていたのにどうして今日は入れないんだろう…と
不思議そうに立ち尽くすシオンの姿が、今も忘れられません。
入口はすぐに広くしました。
頂いたコメントにもありましたが
そういう不自由さや、食べられない辛さ、立ち上がれなくなった時…
その理由がサッパリ分からず、困ったような悲しいような顔でこちらを見る目が、今も焼きついています。
苦しさのわけを説明してやる事も、取り除いてやる事もできず、
ただただ進行していく病の前になす術もなかった自分。
やはり「ゴメンね、シオン」という言葉しか今は出てきません。
亡くなった時、シオンの目には涙がいっぱいたまっていました。
悔しかっただろうと思います。
悲しかっただろうと思います。
シオンの、元気だった頃の思い出を見てやってくださいますか?









とにかく“あごのせ”が好きでした。


貴重な、カメラ目線のトリオ写真。

病気が見つかった頃。
何も知らない表情が悲しい。
病気の宣告の後、シオンの事をいつどのようにご報告しようか、ずっと迷っていました。
結局、亡くなるまで書けませんでした。
発病当初、最終的には安楽死させざるを得ないだろうという医師の意見に動揺しました。
自分にそんな決断と行動ができるとは到底思えなかったのです。
その日をどうやって決め、どうやって車に乗せ、どうやって病院に入れと言うのか、
想像するだけで涙涙でした。
もし、実際にシオンが呼吸困難や激痛に襲われてしまったら、自然と楽にしてやりたいと思えたのかもしれません。
でもシオンは、姿かたちこそ想像を絶するほどに変わってしまったけれど、最後まで静かな日々を送りました。
だから私は、安楽死の決断をせずに済みました。
ハビとハルは、仲間がひとりいなくなった事、分かっているのかいないのか、
いつもと変わらず元気いっぱいです。
心なしか、ハルが前にも増して甘えてくるような気がします。
人間でいう、初七日が昨日過ぎました。
シオンは、我が家の庭の一角に眠りにつきました。
皆さん、シオンの死を悼んで下さって、本当にありがとうございました。

