渋皮煮の渋い想い出
何年も前の初秋、初物の栗で渋皮煮を煮上げたばかりの時だった。
姑が自分の兄弟を連れて、いつものようにアポなしで我が家にやってきた。
現在は全く 断じて 絶対 対応できなくなってしまったが、当時の私はそういう急な来訪も受け入れていた。
よく友人らに『うっそーーー!私だったら絶対嫌!無理!よく平気ねぇ~~!!』と言われたものだが、私だって無理だけど、どうにもならないんだもの仕方ないじゃないか…と思っていた。
で、その時もとりあえずお茶を淹れ、姑が選ぶ話題で姑が仕切る談笑なぞをしていたが、
ふと、煮上げたばかりの栗の事を思い出し、初物だし、季節の話題にもなろうかうと姑たちに供することにした私。
『今朝出来上がった渋皮煮があるんですよ、お茶請けに召しあがってください』と台所にむかい、
ツヤツヤの栗をふた粒ずつ小皿に乗せ、姑と叔父にすすめた。
二人はそれぞれ栗を割って口に運んだ。
叔父はアメリカに住んでいることもあり、久しぶりの日本の甘味を喜んでくれた、ように見えた。
姑は…
一つ目の栗を静かに味わい、飲み込み、そして…こう言った。
『この前○●さん(姑の友人)が作った渋皮煮、美味しかったのよ~~』
私はたぶん、その手の反応には慣れていたから、その時も特に表情を変えることもなく適当にやりすごしたと思う。
少し驚いた顔の叔父の様子が記憶に残っている。
結局その席で、私の出した栗については一切のコメントはなかった。
ここで驚いている方、います? この話はここで終わりではないのです。
後日談がある。
この1年後の秋、その年も私は渋皮煮を作ったのだが、ふと去年の事を思い出し、
試しにもう一度姑にその栗をお裾分けしてみた。
今年はもう少しまとも(あくまでも私基準ではあるが…)な反応をしてもらえるかな?などと思ったのかもしれない。
瓶詰にしたものをひと瓶持って、夫の実家へ行った。
そうしたら!!
私から栗の瓶を受け取った直後の、姑の第一声は
「○●さんの栗の渋皮煮、美味しいのよ~!」だったのだ。
去年も全く同じ、意地の悪い発言をしたのを覚えていない姑は
「○●さんの栗、本当に美味しいのよ、食べてみる?」と、今栗を煮てきたばかりの私に、○●さんの栗を勧めた。
更に「△▲さんの栗もあるのよ!」と、また別の友人の名前を出してきて、いかにその人たちの煮た栗が美味しいかと讃えた。
そして最後に、思い出したように「ああ、アナタのはまだ食べてないわ」と吐き捨て締めくくった。
こうやって、私の作品を故意に無視した上で、他者の作品をベタ褒めするというパターンは、
栗がスポンジケーキになったりドーナツになったりと変化をしながら、長い間に何十回と味わってきたものである。
私が持参した手製のケーキをその辺にポンと置き、その場にいた親戚のお嬢さんに『手作りのケーキが食べたいわ、今度作ってきて~』と言っていたこともある。
なので、この栗事件(笑)が特別に悔しかったとかそういうわけではないのだ。
振り返ってみると、『学習しようよ、自分』と声をかけたい。
相容れない相手には何をしたって無駄よ、諦めなさいと言いたい。
結局私は、自分ならできる、何かを変えられる、などと思いあがっていたんだろうなぁ。
その情熱は結構なことだけれど、ずい分と時間を浪費してしまったなぁ…と、栗を剥く度に思い出す出来事である。

職場の方の頼まれ物ケーキ。
ものすごく平面的&幼稚なデコになってしまって、お渡しの前にかなり凹む。
赤い色がなくてホトホト困り、冷凍のラズベリーを出したのはいいけれど、あれはものすごく水分が出るし、ツヤもない。
急きょ上がけ寒天を煮て、そこにくぐらせてから置いてみた。
これに、ボロ隠しのミントを散らして、とりあえずの完成。
ホントにホントに難しい!!!
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